理想と現実の分析〜理想編〜

こんばんは。

今宵も過ごしやすい気温ですね。

 

寒いのか暑いのかよくわからない季節を今年も漸く無事脱出することができるのだろうか…

と、淡い期待を胸に抱きつつ、私は今日も眠る前の30分をPCと睨めっこする。

ブルーライトを終日滝行のように浴びる日々は、将来の私を緑内障へと誘う…

数年以内にiPS細胞で治療が簡単に出来るようになってて欲しいものです。。

世界の医学博士たち、心より応援しております…。。

 

さて、本日は自分と向き合う時間の第一章としたいところ。

タイトルにもあるとおり、自分という存在の理想と現実のギャップについて

分析していきたい。

手順としては、理想と現実についてそれぞれ向き合った後に、

両者のギャップを分析するという流れにしたいと考える。

そして本日は理想編とする。

 

自分の理想。こうでありたいと思う姿。

綺麗な文章に書き起こすには思考が纏まらず、潰された発泡スチロールのように

両の手からポロポロとこぼれ落ちてしまう感覚があるので、

まずは箇条書きにして適当に並べてみることにする。

 

①姿勢の良いスレンダーな見た目になりたい。

②自らの実力でお金を稼げるようになりたい。

③自分の好きな「物」を追求し、そうしたものに囲まれて暮らしたい。

④「自分にとって大切な人だ」と言える人を両親以外に持ちたい。

 

びっくりした。上記4点しか今のこの時間の私には思いつかないらしい。

明日になればもっといろいろ思いつくかもしれないし、

日中いろいろ考える割には案外この4点に凝縮されるのかもしれない。

 

それぞれについて、何故そう思うのか、少し深く掘り下げていく。

 

①姿勢の良いスレンダーな見た目になりたい。

 

私は毎日、1日に最低2度は鏡で自分の姿を見ている。

その時に鏡に映る自分の丸い顔を見ると、

私は日々こんな顔で人と話しており、私と話す人はこんな私のことをどういう思いで

見ていたのかと哀しくなってしまう。

別に私は一般的に「おデブ」と言われる見た目ではないし、

どちらかと言えば「可愛い」と言われてきた方であることは

自身の矜持のためにことわっておく。

しかし、写真に写った私が少し「ぽっちゃり気味」なのは否めない。

顔周りに肉がつきやすい体質なのだ。

ではなぜ、今の自分を変えてスレンダーになりたいのか。

それは、単純に太っている自分を見るのが不愉快だからだ。

アニメのキャラクターやドラマに出てくる女優やモデルさんは皆ほっそりしている。

勿論、あの体型が健康的ではないということは十分知っているし、けれどだからと言って

今の自分の脂肪たっぷりの(ちょっぴり)わがままボディも健康的だとは言えない。

そもそも、私はどちらかというと本当にほっそりしていて折れてしまいそうな雰囲気の

モデルさんとかよりは、綾瀬はるかや映画『007』に出てくるボンドガール的な

筋肉質なスレンダー体型に憧れる。

健康的で強いしなやかな女性という感じがして、

ああいう風に私はなりたい。

 

②自らの実力でお金を稼げるようになりたい。

 

はっきり言っておく。(聖書のキリストっぽく。)

私は断じてニートではない。

日々の仕事をきっちりこなし、時折…というよりはほぼ毎日愚痴をこぼし、

酒はこぼさず飲み干すというのを習慣とする平々凡々なOLである。

OLの高潔さからすると、エヴァのみさとさんには敵わないことは認める。

ビールはあんなに買いだめできるものではない。

ここで言いたいのは、「企業に勤めるだけで給料が貰える」ということではなく、

「自分の能力に対して需要があり、お金を払いたい人々がいる」という状態が

理想であるということである。

ただ企業に勤めるだけなら、大方の人間ができる。

もし仮にそれが出来ない人は、きっと他のところに大きな才能があると私は思っている。

人それぞれ得手不得手があるのでね。

けれど、「自分の才能に対して需要がある」っていう状態ほど

自然体では掴みづらいものなのではないかと考えるのである。

 

私にはこれといって人より秀でた才能がない。

今まで何かが出来なくて泣いたことはあるが、

何かが出来すぎて天才呼ばわりしたという経験はない。

それに、私はちょっとだけ人より得意だったりするとそれで満足しまって、

その分野の成長の仕方がわからなくなってしまう。

よって、話は戻るが私は「平々凡々」すぎるただのメスなのである。

メスというただの人間なのである。人間というただの生物であり、

ただの生命体であり、ただの地球人なのである。…。

 

Youtuberのはじめしゃちょーとか、ヒカキンとかを見ていると

何故あんなに一つのことを継続し上達できるのかって凄く疑問に思う。

私は好きなことでもあんなに毎日は出来たことはないし、

出来たとしても成長しようと創意工夫することなくただ楽しいとこだけ

ダラダラ続けてしまう。だから、やっている間は楽しいけど、

ふと自分を見つめてみると、何も身についてないって状態に気づき、虚しさをおぼえる。

継続は大事だけど、工夫も大事。考えて取り組むことが大事。

そうして私は自分の見つけた分野で自分の城を築きたいと考える。

 

自分の好きな「物」を追求し、

   そうしたものに囲まれて暮らしたい。

 

これはシンプルなことだ。

自分の好きな物とは何かを追求し、それを見極め、集め、その中で暮らしたいということだ。

しかし、自分の好きな物を集め満足するためにはそれなりにセンスを磨く必要もある。

最近だとSNSで自分の好きな家具や雑貨を集めて部屋の写真を

撮ったりする人が増えているが、特に強いこだわりを感じたとき、

私はその人にひどく憧れる。

こだわりを持つ人は、素敵だと思う。

必要性に迫られて適当に家具や雑貨を揃えるのではなくて、

自分の好きな色はこれで、好きな形はこれで、気に入った機能がついてる。

だから、私はこれを選んだ。

そういう思考が堪らなく好きだ。

丁寧で、磨き上げられていて、シンプルで、大好きだ。

 

④「自分にとって大切な人だ」と

      言える人を両親以外に持ちたい。

さあ最後のひとつだ。今日は0時までに寝ようと決めていたのに、

OLはシンデレラにさえ成れないのだという現実を突きつけられているようで

酷く気分を害した。…なんて冗談は置いておいて、この4つ目の理想は大事な要素だ。

ただ自分のルックスに自信が持てて、才能が認められて、好きな物に囲まれる。

それらで幸せになれる人もいる。

けど、私という人間には無理な気がする。

それらで幸せになるには、私は酷く寂しがりやだ。

自分にとってその人のことが必要で、その人にとっても自分のことが必要。

そういう関係がお互い一生涯続いていく関係を築けるような人間に出会いたいものだね。

 

以上、

「理想と現実の分析〜理想編〜」でした。

 

眠すぎて頭が回っておりませんが、

また明日読んだら「何書いてんだコノヤロウ」となりそうな予感がいたします、、

 

次回は「現実編」とうことで、かなり厳しい戦いになりますが、

現状を打開するには現実を正確に分析しておくというのは正攻法です。

がんばろうな、自分!

 

こうして今日も自分による自分のための自分ブログを静かに閉じるのであった。。

 

 

 

 

本気で変わりたいと思って早10年。

高校生の時に、

「本気で人生変えてやる」、「私は変わるのだ」と強く思った。

 

3時間ほどもあるインド映画『きっと、うまくいく』を何度も見返し、

「成功を追うな、まずは実力をつけること。そうすれば成功はついてくる」

というセリフを馬鹿みたいに心の中で繰り返し呟いた。

 

時は流れ、今となっては平凡なOL。

 

歳を重ねるにつれ高校時代はスリムだった体は脂肪を蓄え、

毎日やりがいのない仕事に辛い思いをし、

時々他人にマウントを取られたり、理不尽を好き放題言われたりして

トイレでこっそり泣いたりしている。

結婚の予定はないどころか恋人もいない。

収入も平均収入よりは上だが満足いくほどではない。

将来の夢はただお金に困ることなく暮らすこと。。。

 

こんな人生は嫌だと、何度思ったことだろう。

本気で人生を変えたいと考えるとき、人はまず何をするのが正解なのだろう。

 

よく言われるのは、「自分が置かれている環境を変えてみよう」ということだ。

それは具体的には転職や引っ越しを指す。

けれど、実はこれ、なかなか難易度が高い。

何故かって、今の自分は確かに満足いくものではなく時々そりゃ嫌気もさすけれど

別に不幸ではないからだ。大きな不幸が連続して起こったら、さすがに大きな変化を求め動かざるを得ないだろうが、別段今が悪すぎる状況でない限り、そこからう動いて得体のしれない未来へ自身を投げ出すのは現実的にかなりリスキーで心理的ハードルは馬鹿高い。

 

上記の理由から、自己啓発本を手に取った我らは一瞬で挫折する。

 

そう。自分はそこまでしてまで変わりたいわけではないのだと、思い知らされるのだ。

 

ちょっと待て。本当にそうか?

 

すぐに動かなくてはいけないほど今の自分の人生に対して感じている不満は大きいものではないにしろ、常に心の片隅で「変わりたい」「変えたい」という欲求が渦巻いているのを、無視していていいのだろうか?

よく見たら、そういう小さい疼きでも、淵を覗けば思いのほか深くて底が見えなくて、ブラックホールの如く空恐ろしいものと感じるのではないか。

 

私は変わりたい。

自分自身と向き合いたい。

手遅れになる前に。遅すぎる前にーー。

 

さて、手始めに、自分に対する不満をいくつか整理してみたいが、

それはまた日を改めて頑張ることにしよう。

 

「夜はちゃんと寝る」ことも取り組みたいね。

 

それでは良い夜を。

趣味の一環として...

いよいよ暖かくなって参りました。

凍てつくような寒さの冬が幕を閉じ、

恋する乙女たちが時折頬を朱に染めながら桜並木を可愛らしく散歩する、

そんな季節になりました。

筆者にも、人生の春が訪れますように。アーメン。。

 

春といえば、新年度のスタートですね。

学生も社会人も心を躍らせながら毎日を過ごしていることでしょう。

心が躍らない、もはや虫の息だよって方は、

一旦映画館に行って3本くらい一気見し家に帰って寝てみましょう。

私はやったことないですが、きっとベッドの中で目が覚めたときにはお腹が空いているので美味しいご飯にありつけることでしょう。。

 

そんな春。私も心機一転。

趣味に時間を確保したいと考えるようになり、

WEBデザインをちゃんとやってみようと決意いたしました。

 

元々興味のある分野で一度習ってみたりもしたのですが、

結局知識が定着せず自分でWEBページを作成するまでには至っておらず、

何とも中途半端な状態でした。

 

いろいろなWEBサイトで独学方法を見ていると、

まずはHTMLとCSSの習得が必須とのこと。

手始めに、下記2点を3ヶ月以内くらいでサラッとやっておきたいところです。。

その後で、ウェブページの模写をする所存。。

 

1、テキスト1冊を一周

2、WEB上にあるフリーの学習ツールを使用する

 

ただ模写って個人的なイメージ、結構難しそうなので

本当にできるのかなって先行きが不安です。

 

しかし、やると決めたからにはやりたい。

「男に二言はない」と言いますが、

「女にも二言は要らねえよ」ってやつです。

 

とにかく、

この季節から何かを始める方、

一緒にがんばりましょう!

 

 

また失恋。その心は・・・

こんにちは!カフェイン中毒です。

 

先日、結婚を考えていた恋人と別れました。

「世界中でこの人だけが私のことを理解し受け入れ、応援してくれる。」

そう思えるような、かけがえのない存在でした。

 

そんな相手でも、

生涯のパートナーにはとうとうなれなかった。

 

別れてからは食べ物が喉を通らず、

身の回りの物に目をやれば

彼との日々を思い出して声を上げて泣く日々が続いた。

 

なぜ別れたか。

それが読んでる人にとっては一番気になる問いでしょう。

 

答えは陳腐なもの。

 

「結婚と恋愛は違う。」

 

恋愛するだけなら、何十年、何百年、ずっと彼と一緒にいれた。

毎日くだらない話を交わし、一緒に夜ご飯を作り美味しいねと笑い合う日々。

けれど、それだけでは人は生きていけない。

 

「結婚は、共闘できるような人が良い。」

 

それが私の中の結論だった。

 

彼も私も弱いところが同じで、それでも一緒にいろいろなことを乗り越えようと

がんばってきていた。

けれど、がんばらなきゃとプレッシャーに思うような生活は、

そう長くは続かない。

 

恋愛が終わるとき、

自分の中の一部が死んでしまうように感じる。

 

けれど今度はもっと自立した女性になろう、

もっと自分に合う人と出逢おう。

そう、心に言い聞かせて。

 

強く、強く、生きていきたい。

 

もし失恋して途方もなく悲しければ

死ぬほど映画と本に没頭し、

そしてこれでもかというくらい睡眠に時間を費やしたらいいと思う。

 

そういう時期も、必要なのだ。

恋する乙女は、この先。

どうも。カフェイン中毒です。

 

知人が髪を伸ばしているらしい。

大学時代から付き合ってきた恋人と結婚するのだそうだ。

 

コロナ禍でしばらく会えていない彼女の姿を思い出した。

顎のラインで一直線に切りそろえられた、

日本人形を彷彿とさせる黒髪だった。

 

退屈な講義が始まると、

こくんこくんと揺れる頭に合わせて

さらさら、さらさら、

静かな音楽を奏でているのだなと

その後ろ姿を眺めていた。

 

あの彼女が

愛しい男との結婚式に備え

女の命とも呼ばれるそれを

毎日、毎日、細くて白いあの指を使って

丁寧に梳かしているのだ。

 

恋愛結婚と聞くと、

与謝野晶子の略奪婚を思い出す。

 

当時妻子のあった詩人・与謝野鉄幹に一目惚れ。

不倫を超えての略奪婚。

12人の子供を授かりながらも

収入のない夫を支えつつ

仕事に邁進したという逸話は何度聞いても面白い。

 

ふつう、そこまで人を愛せるものだろうか?

 

努力というものは、努力する才能がある人間がするのだと聞いたことがある。

ならば、人を愛せるというのも才能のうちなのだ。

 

コロナで青春をちょっぴり奪われている

恋する乙女たち。

この先、誰をどのように愛して生きていくのだろう。

 

明日は晴れるといいですね

良い夜をお過ごしあれ

 

 

書きたい奴。

こんにちは。カフェイン中毒です。

久しぶりに自分のブログを開くと、今年1月の初投稿以来一度も

更新していないことに驚愕している。

 

なんとあれから早7ヶ月が過ぎたのだ。

何はともあれ、この半年の間に周りの環境も住む場所も友人関係も

全て様変わりした。

けれど、きっとあの寒い夜と気持ちは変わらない。

 

ただひたすらに、淋しい夜この時間、

この世に存在するカタチある何かに語りかけたいのだ。

 

語りかけたそのあと、私はベッドの中で夢をみる。

きっと、昔大好きだったあの人とまた夕方から飲みに行っている夢だ。

 

淡いオレンジの夕暮れと、よそのお家の晩御飯の匂い。

夢でみるのはいつも黄昏時のきみ。

別に付き合うとか、そういうのじゃなかったのだが、

なぜかよく連れ立って飲みに出かけた。

夢の中のきみはよく笑う。

きみの夢を見て目覚めた朝は、夢で見た情景をしっかりと覚えている。

懐かしい青春の残り香を余すことなく胸いっぱいに吸い込むと

現実の朝の空気が生ぬるく肺を満たす。

 

そう、今は8月夏真っ盛り。

 

恋をしましょう

夏ですよ。

 

1月の寒い夜と凍えるココロ

どんなに愛している家族にも、

どんなに大好きな友人にも、

どんなに愛しい恋人にも、

伝わらない気持ちがある。

 

ふとした瞬間にそのことに気づくと、

やり場のないココロは

空気の抜けたゴム風船みたいに

無茶苦茶に暴れて

思わず大切な誰かを傷つけてしまうことだってある。

 

1月の寒い夜にその瞬間が深く、深く胸に突き刺さったので

思わず文章に逃げてきました。

 

そんな、平凡無垢(?)なOLが始めたのがこのブログ。

 

きっと誰も読まないし、

得体の知れないどこかの誰かが書いたブログなんて

しょうもないだろう。

 

けれど、もし。

家族とも、恋人とも、友人とも話したくない気分で

もしくは話せなくて

もしくはそういう存在が今はまだいなくて

寂しい時間を過ごしているのなら

暇つぶしにでも読んでいってほしい。

 

そういう思いです。

 

申し遅れました。

わたくし、カフェイン中毒と申します。

よろしくお願いいたします。

 

今宵もひどく冷え込みます。

お身体冷やさないように温めてお布団へ入りなすって。

 

わたくしはもうすでに凍えていますが。。